2012年02月06日

死よりもきついこと

二度肺がんになり手術で摘出して右肺も左肺も半分ずつしかない父。

医者に「風邪ひいたら死ぬから風邪ひかんように気をつけて」と言われた父。

冬には加湿器をつけて欠かさずうがいをして風邪をひかないように常に気を使ってた父。

そんな父からお昼過ぎにメールが。














「インフルエンザにかかりました。
 熱が下がるまで絶対安静です。」




えーーーーーっ!?Σ( ̄Д ̄)
インフル・・・って風邪よりきついあれでしょ?
風邪ひいたら死ぬって言われてるのにそれよりきついことって何?


・・・ある意味生きてることかな?と思う哲学的な今日この頃。


そんな呑気なことを言えるのも38度あった熱が37度まで下がったからです。


友達に「おとんがインフルになったってメールきた!」ってゆって
「えっ!?帰らんでいーの?」と聞かれ
「えっ!?帰らなあかんの?」と逆に聞きかえしたあたしは鬼ですか?
えぇ、鬼です。
鬼は外ですか?
その行事は数日前に終わりましたね。


夜ご飯をリビングに準備しようとしたら
「お前にうつったらあかんから自分の部屋で食べるわ」
と言われたけど、自分はうつらないだろうという根拠もない絶対的な自信があるのは何なんでしょね?
父親似のあたしが思うんだから父もそう思ってたことでしょう。

そんな父がインフル。

皆様も自分を過信せずにお気をつけくださいませ・・・と過信満々のあたしが言うなと?

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2011年02月10日

家庭環境の違い

ある日の「サザエさんも終わったし夜ご飯でも食べましょうか」・・・って時間。
友達Rちゃんの旦那さんからTEL。
旦那さん「Rちゃんと会ってませんか?」
もえ「いえ・・・会ってませんけど」
旦那さん「家に帰ってきたらいないんですよね」
・・・7時ですけど(・。・?)
でも、いつもいる時間にいなけりゃ不安ですよね。
旦那さん「MさんとEちゃんの連絡先教えてください」
いやいや、それは個人情報漏洩になるんで
もえ「あたしから連絡して聞いてみます」
あたしも一度Rちゃんに電話してみるも出ない。
MさんにもEちゃんにも連絡してみるけど一緒ぢゃない。
もっかい旦那さんに電話。
もえ「そういえば仕事行くってゆってましたけど・・・」
旦那さん「仕事場に電話したら3時には帰ったって・・・一度帰ってきた形跡はあるんです」
・・・うーん、では仕事仲間とG会議的なことしてるかも。
仕事仲間に電話してみるけど、12時半くらいにさらっと会っただけと。

(-""-;)ムム・・・
12時半には会ってる人がいて、3時には帰ってて家に帰ってるけど家にいない・・・

おうちでかくれんぼ?>違

あれ?どっかで倒れてたらどーしよΣ(; ̄□ ̄

旦那さんに報告ー・・・の前にもっかいRちゃんに電話。
2コールで
Rちゃん「もしもーし」
もえ「あ!!Rちゃん?今どこ?」
Rちゃん「パーマ屋行っててん〜今終わってケータイ見たら10件くらい着信あってびっくりしてんねん」
なるほどねー、カットとカラーとパーマとかしちゃったりすると4〜5時間くらいかかるもんねー。
もえ「・・・至急旦那さんに電話してあげてくだされw」
あたしも連絡した3人に被疑者確保のメール。

Rちゃんが家に帰ると旦那さんはリビングで脱力して大の字になって「よかった〜とにかくよかった〜」ってゆってたそうで。
うちなんて、あたしが2〜3日家に帰らなくても何も言われんくらい放任されてるから新鮮だわーって思って。


そんな話を踏まえての今日の出来事。

今日は寒いなーなんて思いながら父に晩御飯の相談。
父「3時ごろに出掛けるけど、5時ごろには帰ってくるから何か作ってくれるなら頼むわ」
もえ「わかった、寒いし鍋でもしよっかな」
父「ほんなら買ってきて欲しいもんあるからメモ渡すわ」
と、買い物を頼まれる。

お昼に美容院予約してカットとカラーとポイントパーマもあてちゃって、でもちゃんと鍋の材料も買い、頼まれてたものもすべて買い、家についたのが6時前。
家に帰ると父は入浴中。
バタバタと晩御飯の準備しつつケータイ見ると不在着信&留守電。
誰かと思ったら5時半前に父から。
あ・・・心配してくれたんや、悪いことしちゃった。
いや、もしかしたら「あれも買ってきて」ってゆう買い物の追加かな?
とか思いながら留守電聞いてみる。


「今から風呂入るけど・・・


わし、ちゃんと晩御飯あたるんやろうなー!?・・・」ガチャン


・・・(-_-メ)久しぶりにイラっとしましたが何か?

「心配したんはおのれの晩御飯かぃww」
と、声に出してケータイにツッコみましたが何か?>本人には言えない
あなたの頼んだ“バナナ2本”のおかげでスーパー3軒まわりましたけど。
バナナってグローブみたいになっててなかなか2本では売ってないんですぜ。
“おいなりさん2個”もかなりの強敵でして。

なんっちゅーか、前半の出来事がなければいつものことだと思えるけど、そんなほっこり温かい家族愛の話あってのこの仕打ち・・・

あたしが結婚にあまり興味を抱かないのはそんな家庭環境が原因では?

とここぞとばかりに人のせいにしてみたりして(爆)

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2010年12月06日

父の糸

父の2度目の肺がんの手術。
一度目も同じ先生に手術してもらい、再発なく完治。
今回は再発ではなく新しく出来たものらしいです。
はじめの検査では影なのか腫瘍なのか微妙なので精密検査をすすめる先生。
その先生を絶大的に信頼している父は
「精密検査しんどいから胸開けてどってことなかったら閉じてくれたらいいやん」
ってことで手術することに。

開けてみたら腫瘍でしたよって事で取り除くことに。
あたしは父の肺と腫瘍を2度みせてもらうことに。
んー・・・一度目のガンは真っ黒なさいころステーキのようで、取り出した肺は白子のようで、二度目のガンはなんこつみたいと思ったあたしは別にお腹がすいてるわけではありません。

退院してしばらくしたある日。

父が手術した右胸の下辺りを指差して
「なんかこの辺から白い糸みたいなん出てるねん、抜糸した糸が残ってるんちゃうかなーって思ってんねんけどな、引っ張っても取れへんねん」

いやいや( ̄Д ̄;;
引っ張って血でも出たらどーするんですか!
病院行ってください。

後日、風呂上りにウロウロしてた父を捕まえて見せてもらったら、確かに手術後に管をつけていた小さな穴があったんですが、その縫い跡から『え?これって糸?』って思うくらい・・・例えるなら小さなにょろにょろみたいな分厚い白い糸が2〜3本ほど出てますけど。

「ほんでな、引っ張っても取れへんねん」
と、糸を引っ張る父。
「わー・・・なんやろうな?とりあえず病院行きぃ」

ってことで結局何だったのか?

ようやく病院に行ってきた父に聞いてみると
「あれな・・・危なかったわ」
と低い深刻な声で話し始めた。

あの糸は、体の内側を縫っているナイロンの糸で引っ張って縫い目が取れたりでもしたら大変なことになるらしい。>いやいや、そんな大変な糸が出てること事態がおかしいやろうがw
とにかく何とかしないとなぁと先生が触ったらポロッと取れたらしい。

先生「・・・」

父「・・・」

先生「・・・お風呂に入る時には取ってもいいですよ」

と患部にガーゼを貼って終了したそうで。

父はガーゼを剥がし
「これ(ガーゼ)もういらんわ、風呂入ってくる」>あっけらかん


ほんまかっ!?( ̄Д ̄;;
そんなんでいーんかっ!?
絶大的に信頼しすぎやろww

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2010年11月24日

名古屋にお引越し

することになりました。
引越しはいつも突然で、あれよあれよとゆう間に今週ですよ。
部屋ってそんなに簡単に決めれるもんなんですかね?とびっくりしたりもして。

まぁ、名古屋と言えばおいしいものもたくさんあるし。
前にも一時期住んでたし、土地勘もわかる場所だし。
言葉もちょいと関西弁ではない訛りになりつつあるくらいだったし。
東京ー大阪間の距離を考えると、大阪行くのも東京行くのも近い感じがするからいいよね。
遠征した時とかお世話になるかも♪


でもなぁ〜今まで手伝ってもらってた・・・ってか、ほぼお任せしていた掃除や洗濯や炊事やゴミ出し、これから自分で全部やらなきゃいけないのかーって思うと憂鬱です(_ _。)・・・シュン

やっぱ、名古屋行き辞めませんか?

おにいちゃん。

・・・って辞めませんよねw

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2010年04月26日

想いが届かなくて・・・

それは突然にして発覚した。

4月吉日、姪っ子の入学式。
無事に終わってご飯して車で帰る時、妹から着いたらメールちょうだいと言われた。
家に帰ってから「着いたよ」と文字を打つだけってのも芸がないし、週末に妹一家がうちに来る時の駐車場の手配を気にしてはったから、家に帰ったら駐車場の紙が入ってたよという意味を込めて駐車場の許可証を写メした。
しばらくしたら「無事?着いた?」とメールが来たので「えっ?この子着いたよと書かないと着いたかどうかわからんのんかい」と思って、着いたよということと、その日が結婚記念日だったもんで記念日おめでとうのデコメを送った。

・・・レスないし(ー'`ー;)

まいっかと思った次の日の朝「無事?着いた?」と同じメールがw
うーん、ちびが携帯いじって再送したんやろうと思い放置。
その晩「駐車場どうなった?」とメールがあったので「昨日2回メールしてんけど届いてない?」ともっかい写メを送った。

・・・ほんでまたレスないし(ー'`ー;)

次の日、甥っ子の入園式の朝、妹からスリッパ持ってきて欲しいと留守電。「スリッパ持っていきまーす」とメールして出発。
幼稚園で落ち合って、お互いの疑問をぶつけ合う。

もえ「あの日、写メしたしおめでとうメールもしたけど届いてない?」
妹「え・・・届いてないで〜無事なのかどうか心配しててメールしてるのに帰ってけーへんし、でもなんでかスリッパにだけはレスくれてるしどーなってるん?」

・・・?
届いてるものと届いてないものがあるん?
いろいろ検証した結果、普通の文字と絵文字までは届く。
写メ、デコメ、テンプレートなどが届かん。
「拒否設定とかしてるんちゃうーん?」って聞いてみたけど、そんなことした覚えないし他の人からは届いてると反論。
そして、父(docomo)・おにぃ(au)・ソフトバンク(妹・妹の旦那)の4人に送ったのに妹にだけ届かない。
友達からのメールを転送したものも届かない。

「とりあえず、文字だけ送れるならしばらくは文字だけでお願いしまーす」と妹>危機感ゼロ?
・・・平成も22年を経過し、21世紀にもなったこのご時世に?
写メやデコメとか洒落たものが送れないなんてっヾ(≧∇≦)〃ヤダヤダ

早速ショップでご相談。
ソフトバンク同士で送ってるのでアドレスではなく番号で送信してるはず、番号は拒否設定できないのでどちらかのケータイの中身が故障してるかもしれないから調べてみますか?とのこと。

でもね、その後妹は機種変してあたしは別のケータイにICチップ入れ替えて送信しても届かなかったんよね。
ぢゃぁ機械のせいではないのでは?
ICがおかしいんかなー?システムがおかしくなってるんかなー?
妹「157にTELしてみたけど、音声応答の時点で何番押せばいいかわからんかったから挫折した、今度ショップに行ってみる」

ではあたしが157に電話して相談しましょ。
あたしが送信した時に送信完了しましたと出るなら相手側が迷惑メール設定してる可能性があるので、一度おねぇ様と妹様が一緒にショップに行ってみて下さいとな。
まぁ、妹がこっちに戻ってきててよかったよ。近々いけるかも。

早速妹に電話。
もえ「ショップ行ってみた?」
妹「行ってきた!ねぇちゃん、ごめんっ!」

・・・な ぁ に ?

妹「拒否設定してたみたい( ̄Д ̄;;」

おーーーーーーーーーーーーいw

よくよく聞いたらとある登録したとたんに迷惑メールがジャンジャン届くようになって迷惑メール申告したんでしょうね。それでソフトバンク側から「そんなにたくさんあるんやったらこんな設定どうでっしゃろ?」的なメールが来てそこにリンクしてテキトーに設定したんやろうね。
ソフトバンクにはSMS(docomoでいうショートメール)とS!メール(長文とか画像添付できるメール)があって、妹はS!メールの方のeメールや.jpからのメールを受け取って電話番号でのメールを拒否してたらしいw

なんでやねんw
普通eメールとか.jpのほうが迷惑メール多いからそっちを拒否せーへん?

そして、妹の周りはソフトバンクの人が少ないから写メだったりデコメだったりは番号ではなくeメールか.jpで送られるから受け取れるんよね。
妹の旦那様はソフトバンクやけど、写メやデコメなどおされなメールを打つこともなくSMSで事足りるもんで拒否られることもなかったらしい。

そんな偶然に偶然が重なって何故があたしのメールだけ届かんもんやからあたしのケータイがおかしいんかなーって悩み続けたわけですよ、2週間ほど( ̄へ  ̄ )

はい、そんなわけで家族からソフトバンクに詳しい友達まで巻き込んでしまい申し訳ありませぬ<(_ _)>
結末がこんなにあっけなくしょぼいとは(笑)

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posted by もえ at 23:42| Comment(7) | TrackBack(0) | 身内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月01日

突然、引っ越すことになりまして

皆様にご連絡を・・・と思いまして。
・・・え?エイプリルフール?
あ、今日はそういやぁ〜そんな日ですな。
3月初めくらいから「あー、今年はどんな嘘ついたろぅ・・・」と考えてたけど(笑)
でもこれは本当のお話。

ホント、びっくりしたよ〜引越し決まったのが3月1日。
引越しは3月31日>早っ!
住むとこ決めに行って引越し準備していろんな手続きして周りに挨拶して・・・
もうバッタバタですわ( ̄Д ̄;;
よくすべてが間に合ったなぁとちょっと感心してしまったわ。

まぁ、ディズニーランドが遠くなったのは残念だけど(_ _。)・・・シュン
年間パスポート、結局買わんかったね(笑)

・・・あ、もうそろそろお気づきですか?
えっ?もっと前にわかったって?
そういうあなたは「もえマニア」認定です。
前半ほぼ2年前の日記のコピペですから(*≧m≦*)ププッ

妹から電話していい?的なメールが来たので電話してみた。
もえ「どーしたん?」
妹「・・・大阪」
もえ「・・・!?おぉっ!お帰り?」
妹「せっかくこっちに慣れてきたのにぃΣ(>д<)」
早くて2年で帰れると聞いてたけどほんとに2年で帰ってくるとは。

ほんで、千葉の家を追い出されるのが3月31日、大阪の家のリフォームが完成して入居できるのが4月10日・・・
・・・この空白の10日間は・・・野宿?
ってなわけで4月前半我が家は賑やかになります。

千葉に行く時は不安一杯だったけどようやく慣れてきて環境も気に入ってたみたいやけど。
ちょうど姪っ子が小学校入学、甥っ子が幼稚園入園の区切りだからまぁよかったとしましょ。

引越しという経験がなかったら一生わからんかった大切な事を知ることが出来たんちゃうかな?
新しい土地でも人とのつながりを大切にしていってくださいまし。
住めば都、住み慣れた頃にまた戻っておいでw


これ、2年前のブログに書いた言葉。
ほんとに住み慣れた頃に戻ってきてるしww

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posted by もえ at 00:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 身内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月05日

闘病日記ー2009年10月ー

1日、下痢でしんどそう。ウイルスが入ってるらしい。夜ご飯食べれず。明日には治っててくれたらいいけど。血圧計つけてるからか、左手がめちゃむくんでた。内出血も痛々しい。喉が腫れてるのか、薬が飲みにくそうで飲んだ後も戻しそうになってた。
2日、下痢は抗生物質を同じものをずっと使っているとなる場合もあるらしい。今日から別の抗生物質。採血したところからしばらく血が止まらなかった。パジャマと携帯のカピパラさんに血が付いた。ずっとしんどそうでうなったり手足を上下に動かしたり。起こしてもぼーっとしてて目がうつろな感じ。白目が黄色い。
「しんどい?」って聞いたら口パクで「しんどい」と言ったのか、うんうんとうなずいたのか、言ってることはわかってくれてた。何度か目を覚ました中で、一回だけ私だとわかってくれたのか、にこっと笑ってくれた。18時過ぎ、先生が血小板と白血球がすごく下がってるので、サイトカインを追い出す目的で血漿交換をしたいと。太い針を打つので出血が心配だが、3時過ぎに血小板輸血したので今がチャンスだと。お父さんにも来て欲しいと言われたが、連絡すると酒が入ってるため家に帰って酔いを醒ますと。意識が朦朧としてるので脳に異常がないかCT撮ったところ、小さい出血が2箇所あり。脳梗塞も2箇所あるが、手足が動かなくなるような場所ではないらしい。出血があるため血漿交換保留。白血球が300くらいに下がってるので血漿交換したいが、出血がひどくなるので出来ない。血小板輸血して脳の出血が止まれば血漿交換したいと。ICUに移される。
3日、依然意識が朦朧とした感じ。呼びかけても返事はない。見えてるのかどうかも聞こえてるのかどうかもわからない。昨日のようにうなったりするほどはしんどさはましになってると思う。血小板・白血球が余り上がらず、フェリチンがかなりあがってる(2万台←通常女性は5〜120)。脳梗塞の出血は昨日とあまり変わらず、明日も同じような状態なら5日に血漿交換をしてみることに。明日は妹、母の姉妹が来てくれる。5日はおにいが来てくれる。
4日、3時ごろ到着。昨日と同じような状態。少し落ち着いてる感じもする。6時ごろ妹と会う。午前中に来たときは母の姉妹を見ても反応がなかったけど、妹の顔を見て一瞬にこっと笑ったらしい。口を洗おうとしてチューブを口に入れたら嫌がって唇をかんで出血したらしい。口の縁に血が付いててびっくりした。今は止まってるみたい。白血球の注射した。血糖値も100台だった。
明日、血漿交換がうまくいきますように・・・
5日、母の姉妹が来てくれた。おにいも来た。病院側の事情(血漿がなかったのか?)で明日に延期。脳出血は進んではないが、白血球も上がらず黄疸もひどくなっていっている。濃厚血小板輸血2回した。妹は3時ごろに気にしつつも千葉に帰ることに。

「お母さん、おかぁさん、おか〜ぁさん♪・・・お母さんっ!?」
いつも呼ぶように、天然ボケしたときに突っ込むように、お願いがあるときのように、急いでる時のように・・・どんな呼びかけをしたら母は意識が戻ってくれるだろうと毎日手を握ってはいろんな呼び方で呼びかけた。

6日、木俣さんが朝家に電話くれて、会いたいと言ったらしいが、来てくれても会えないと思うと父が言ってた。用事があって大阪市内に行くために電車に乗った。電車が遅れていた。乗ってた西明石行きが京橋止まりになった。母が「京橋で京阪に乗りかえて」と言ってるように思えた。用事をキャンセルして京橋で京阪に乗り換えた。10時過ぎに病院に着いた。あーちゃんが家族しか面会できないので会えないかも知れないことを承知で来てくれた。母の姉妹、父と面会室で待っているとICUに入っていいと。血小板輸血を終え、2時15分くらいから血漿交換開始。悪い血漿を貯めるタンクが一杯になったことと今日の目標の量を達成してのもあって5時半ごろ終了。意識は依然変わらずかちょっとよくなったか?血圧も安定してるので出血はないかと思われる。明日も10時から血漿交換。
7日、一時全体的によくなったと思ったらまた元に戻った。10時半頃から血漿交換。肝臓・腎臓が機能せず、体が酸性になっているので人工透析でいい状態に戻しつつ、リンパ腫をやっつける薬投与(抗がん剤が効果的だが、いい白血球もやられてしまう)。死滅したリンパ腫が老廃物となるが、透析では処理が追いつかなく、呼吸が苦しくなると思われる。あまりにも苦しい場合は人工呼吸も考えに入れて家族に判断してもらうとの事。呼吸は苦しそうにはぁはぁ言ってるが、これは酸性を吐き出しているからだそうだ。いつ何が起こるかわからないが台風が来てるので駆けつけるのも大変との事で、病院の家族控え室で仮眠を取る。
8日、朝6時半過ぎにICUに。昨日木俣さんからメールで来たいようなこと書いてたので先生に聞くと入ってもいいと。父が電話しにICUの外へ。すぐに戻ってきたと思ったら後ろに木俣さん!入れるかどうかわからないけどとにかく病院まで来てくれていた。母の友達はほんとにすごい!
母はだんだん呼吸が整ってきた。白血球と血小板も上がりつつある。肝機能のマーカーもいい方向に。あーちゃんも来てくれて無理やり食堂に連れて行かれ「あんたが倒れたらあかんねんから無理してでもちゃんと食べぇ!」と私を励ましてくれた。明日、肝機能がよくなっていたら抗がん剤投与予定。
帰りに「じゃぁ、また明日来るね」ってゆったらうなづいてくれた!!「明日はおにいちゃんも来るからね」(うん)「今日、木俣さん来たよ」(うん)とても気分が楽になった。

その夜、父が倒れた。「あいたたた・・・」と言いながら廊下まで出てきてそのまま後ろに倒れた。足がこむら返りになったらしく、どこかにぶつかって鼻血が。トイレの前で「ここで寝る」と言い出したので部屋に帰そうとすると自力で歩き出すがまた倒れそうになる。抱えてベッドまで運ぶが持ち上げられず、父の様子も明らかに目が見開いたままでおかしい。
とりあえずベッドの下に寝かせ水と濡れタオルで落ち着かせる。母のことで父も相当参ってるようだ。あたしも大きな声で父に呼びかけた。どうしよう、父も倒れたらどうしたらいいかわからない、誰に連絡を・・・?その時私は一人なんだと感じた。「大丈夫やからね!しっかりして!」自分に言い聞かせるようにとにかく何かを父に大声で話しかけた。足が震えた。トイレに行ってベッドで寝たけど心配。何度も部屋をのぞいては呼吸をしてるか確かめた。

9日、父は両足こむら返りにあったらしい。ネットで原因など調べるくらい回復。9時ごろ病院、おにいは到着してた。相変わらずポジティブシンキング。母は昨日の昼くらいと同じ状態。でも、白血球や肝機能の数値は昨晩より上がっている。血小板も透析してる割にはあまり減ってない(2万←通常15万〜35万)。昼過ぎから血漿交換をして様子を見て抗がん剤投与することに。血漿交換後、呼吸は先生が想定してる範囲内でそれほど悪くはない、出血もなさそう。抗がん剤が入ってから12時間は透析が出来ない(抗がん剤が流れてしまうため)ので、老廃物がたまり心臓に負担もかかり呼吸困難になる可能性がある。人工呼吸をつけることになるかもしれない。7時過ぎより抗がん剤投与。朝までに病院から連絡なければうまく行ったと思っていいとの事。

みんなの優しさが泣けてくる。
会えるかどうかわからないのに病院まで駆けつけてくれたあーちゃんと木俣さん。
子供を見てくれて一泊させてくれた妹の旦那さま。
運動会終わったら母のところに言ってあげてといってくれてる妹の旦那のお母さん。
何も考えずにお母さんについててあげてねと言ってくれた親友。
仕事なんてどーでもいいから休みぃ、仕事変わってあげると言ってくれた友達。
周りの優しさに支えられて生きてるんだなぁと思った。

10日、病院からの連絡はなかった。呼吸は大変そうだったが口で呼吸するので酸素マスクをつけていたが、人工呼吸をしないといけないほどではなかったらしい。今日は人工透析のみ。おかげで若干だがむくみが取れた感じ。先生と会ってないので数値がどんな感じかわからないが、様子は昨日と変わらず、若干目を開ける回数が多いのと昨日よりはしっかりしてるような気がする。
乾燥して肌が荒れてるのでスキンクリーム購入。唇も乾燥しててあくびして切れたりしてたので、リップも持っていった。

みんなは母の目を見ながら「こう言ってるよね」「あぁ言ってるよね」「わかるわかる」って言ってるけど正直私にはわかんないよ。
私は感受性もないし鈍感だからちゃんと言葉にしてくれなきゃわかんないよ。
馬鹿な娘でごめんね。
早く、早く意識が戻っていろいろ話したいよ。
まだまだ話してないこともあるし、聞きたいこともあるんだよ。

11日、3時ごろに到着。妹が来てた。父は2時ごろに帰って行ったらしい。様子はあまり変わらず、昨日よりさらに手のむくみは取れてた。足はパンパンやけど。手のあかすりしてもらった。顔の黄疸は取れてきてる感はあるけれどお腹や足の黄疸はまだまだ取れてない感じ。7時前に妹は千葉へと帰って行った。今日も人工透析のみで、血小板輸血・白血球注射した。先生の話だと白血球は増えてきてるらしい。後は横ばい?血流量を測る機械もつけて透析のスピードを調整するらしい。母は左腕と頭を小刻みにプルプル震わすことが多かった。口呼吸するので酸素マスク。

あーちゃんから明日もう一人連れてくるとメールがあった。
困った。
怒るというより困ってしまった。
ICUに入ってるのに?家族の了解なしに?・・・母は見世物じゃない!そんな風に思って返信した。
「母は入院当初からこんな自分を見せたくないと自分の姉妹が見舞いに来ることも拒んでました。
入院当初から何度もお見舞いに来てくれて、いろいろお世話をしてくれて、転院してからも会えるかどうかわからないのに駆けつけてくれたあーちゃんと木俣さんは特別だと思ってます。
もう一人というのは、あんな風に髪の毛が短くなり、化粧も出来ず、意識が朦朧としてても会いたいと母が思うような人ですか?」
あーちゃんはわかってくれたのでほっとした。

12日、あーちゃんと木俣さんが来てくれた。にぎやかして励ましてくれて帰ってった。今日は寝てばかりでほとんど目を開けず(2.3回くらい)。透析を午後で一旦やめて様子を見ることに。2〜3000cc水を抜いてこれ以上は危険なのとフィルターの目詰まりが限界だったらしい。ラジオかけてたらコブクロの轍とミスチルのくるみの時に目を開けた。手や顔のむくみはだいぶ取れた。足は少しましになった。胸の水がとれずに呼吸が苦しくなってる。黄疸がひどくなったが数値は横ばい、抗がん剤が思ってたより効いてないみたい。まだ効いてないだけでこれから効いていきますように。7時過ぎてから熱が38.6度出たので心配。

13日、仕事終わりで病院へ。思ったほど抗がん剤が効かず、白血球は上がるがそれ以外が横ばい。これ以上血漿交換も透析も危険だと。黄疸はひどくなってる。老廃物が体に溜まり右目のふち(膜)がブヨブヨに赤く腫れて開けられないほどに。ずっと目は開けないまま顔が揺れるほどの低いうなり声のような苦しい息をしてたが9時前くらいから突然左目が開き、私と父を交互にじっと何かを言ってるような目をしてた。
「家のことを頼む、お父さんのことを頼む」と言ってるよね?
ちゃんと聞こえたよ、わかったよ。
私はうんうんうなづいた。涙まみれで笑って見せたりもした。
母はほんとに頑張ってる。
ありがとう、ごめんねしか出てこない。
目を閉じるのを待って9時半ごろ帰ることに。家の最寄の駅で病院からTEL。帰った後から急に血圧が下がって危険なので戻ってきて欲しいと。妹とおにいにも連絡。妹は今すぐにでも飛んで行きたいけど新幹線も終わってるのでいけないと泣いていた。おにいは12時半頃に着くと。血圧も90から100まで一時上がった。
ずっとずっと手を握ってた。
お願い、頑張って、ごめんね、ありがとう、大好き。
やがて母は呼吸することに疲れたように荒い息は表情と共に穏やかになり、呼吸数が少なくなり、ほぼ呼吸しなくなり、呼吸は止まった。
しばらくは動いていた心臓もやがて鼓動を止めた。
母の枕もとのモニターは今まで波打ってたのがただの平行線になっただけで、母はただ静かに眠ってるだけのように見えた。

14日、午前0時7分、母は私たちと一時の別れをした。

おにいは一足遅かった。
号泣した、嫌だった。戻ってきて欲しかった。
その反面、穏やかな表情にほっとした。
口角が少し上がっていて微笑んでるようにも見えた。
母はもう苦しまなくていいんだと思った。

病理解剖を承諾した。母がどういう経緯でこんなことになったのか知りたかったし、今後の医療に役立つならと家族一致で。
家族控え室で2時ごろから5時ごろまで過ごし一旦帰宅。
時は無常にも進み、何事もなかったかのように日は昇り、空は青く、車は走る。
駅に急ぐサラリーマンも犬を連れて散歩する人もいつもと同じで、まるで私が経験した悲しみは嘘だったようにも思える。
どんなに辛くて悲しくても、それでも人は生きていかなきゃいけない。

15日、12時ごろに病院に着くようにするも、やることが山積みで寝たり悲しんだりしてる暇はない。
あーちゃんも病院に来てくれた。母は綺麗に化粧してもらってた。ほんとに綺麗で穏やかな顔だった。とても冷たくなってた。
葬儀場でも忙しかった。決めなきゃいけないことがたくさんあって悲しんでる暇はなかった。姪っ子甥っ子のテンションに支えられた気もした。家に帰っても母がまだ入院してるだけのように思えた。
解剖した結果、リンパはほとんど腫れてなかった。喉の辺りの部分だけ多少腫れていたらしい。骨盤は詰まっていて、脾臓が肥大してた。肝臓も腎臓もほぼ不全状態で出血。腸も出血が見られ、腹水に血清が混じってた。
すごく痛くて苦しかったと思う。
頑張れなんて言ってごめんね。

葬儀のことで決めなきゃならないことがまだたくさん。7時からお通夜。250人ほど参列。その日は会場で母と寝た。私たちが寝たのを見計らって父は母の棺にすがり「帰ってきてくれ」と泣いていた。
16日、13時半よりお葬式。友達が来てくれて文字通り支えてくれて出棺まで見守ってくれた。
夜9時頃、3ヶ月ぶりに母は家に帰ってきた。
とても小さな2つの壷に入って。
おかえり、お疲れ様、もう苦しまなくていいね、ゆっくりしてね。

こうして母は私の元から少しずつ離れていった。
入院という形で距離をとり、意識不明という距離をとり、覚悟をする時間をくれた。
それでもこんなに苦しいなら、朝見送ってもらって夜帰ってきたらいなくなってたら私は間違いなく狂っていたと思う。
でもやっぱりまだ話したいことはたくさんあったし、してあげたいこともたくさんあった。
母は放任主義だった。
夜遅くなると友達の親は心配して電話してきたり門限があったりするけど、うちは全くそんなことがなかった。
ある日私は何故こんなに放置されてるのか?心配してないのか?聞いてみた。こんな返事が返ってきた。
「心配してるけど、信用してるから」
私は母に恥じない生き方をこれからしていかなきゃいけない。

17日、弔問者もてなしと、片付けと、今後の流れなどの話をした。葬儀が終わってもまだまだやることはたくさんあって悲しむ暇はまだない。
私は母との思い出のたくさん詰まったものばかりで悲しくなるので目に付くものからどんどん片付けていった。
きっと家を出ているおにいと妹はまだそのままにしておきたかったかも知れない。

母の財布の中からはじめに行ったF医院での採血の結果の用紙が出てきた。
・・・涙が止まらなかった。
採血日が3月23日になっている。母は3月から体調が悪かったのかも知れない。だとしたら、私は何故一緒にいながらその頃から気づいてあげれていなかったんだろうと思うと自分の不甲斐なさが嫌になった。

18日、今日も片付け。おにいと妹一家は今日帰っていった。姪っ子も甥っ子もばぁちゃんの死がまだわからない。甥っ子は「ばぁちゃん、ちんぢゃったの?早くよくなって欲ちい。」と言ってた。
母は幸せだったのだろうか?そればかり考えてしまう。
父に怒られて、晩御飯に悩んでる印象がとても強い。
でも、あーちゃんや木俣さんといういい友達に巡り合えてて、一緒に旅行したり遊びに行ったりしてる写真を見てると、やっぱり母は幸せだったんじゃないかと思う。
思うようにしてる。
実際どうだったかなんて本人にしかわからないことだから。


・・・そして私は今でも願い待っている。
これがすべて私の悪い夢であることを、そして誰かがそっと揺り起こしてくれるのを。
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2009年11月04日

闘病日記ー2009年9月ー

お見舞いに行った父が「じゃあ、帰るわ」というと「まぁ、おりぃな」と引き止めるようになったと聞いた。
検査入院した頃は来たら喧嘩になるから来て欲しくないと言ってたのに。
家にいた頃も、父から「飲んで帰る」とメールが来ると諸手を上げて喜んでた母がそんなこと言うなんてありえない話だった。
長い入院が母を心細くさせたのか、何か悟っていたのか。。。

1日、喋る反応が早くなって元気な時に近い喋り方に。首から入れてるチューブは輸血ではなく2種類の点滴注入。腕の時より動きやすいけどまだちょっと寝るときに首に違和感を感じるらしい。血糖値が高かった模様。400台。
2日、今日も赤血球輸血。血小板もかなり少ないんですけど?って思うけど。昨日よりちょっと元気がないけど、先生が言うには28日が山だった、山を越えたとの事。炎症も低くなってるけど血小板が少ないのとD-Dダイマーが高いのが気になる。
3日、先生来診。腕の内出血を見て明日の赤血球輸血を血小板輸血に変更。腕の内出血はかなり前からあったと思うけど・・・しかも、インシュリンの注射をお腹にする時にお腹の内出血のすごさにびっくりした。先生、これ見落として様な気がする。
4日、首筋から出血。今は止まってるっぽいけど貧血なのに・・・顔色もまぶたと鼻口周りが悪い感じ。
5日、出血は止まってた。顔色もよくなってた。
6日、満月顔になってた。パンパンにむくんでて失恋で泣き明かした翌日の朝みたい。目の腫れがひどくて破裂しそうなくらい。ご飯を流し込まずに食べれるようになってきた。喋りもしっかりしてる。
7日、満月顔(明日より利尿剤)や赤血球・血小板の減少は抗がん剤が原因らしく抗がん剤をストップ。赤血球・血小板輸血。この2つの数値が落ち着いたら骨髄検査。炎症もほとんどなくなり、フェリチンも低下。
8日、父と母が大学病院を紹介して欲しいことを伝えた。けど、病名がはっきりわからないと紹介状が書けない、まだ血球貪食症候群と決まったわけではなく間質性肺炎の疑いもあるとのこと。今のまま転院させてもたらい回しになるだけで危ないとの事。検査には2.3週間かかりそう。血球貪食症候群ならT医大を紹介予定。父はH医大を希望。現状ではなかなか受け入れてくれるところもなさそう。よくなって退院して自ら大学病院に行くのもひとつの方法らしい。ステロイドを減らすのも慎重になるため、退院も遅くなりそう。
9日、顔の腫れは治まった。母は自分の状態が情けなくて泣けてくると涙ぐむ。血小板もあがりD−Dダイマーはさがりいい感じ。今日も首のチューブから血が出てきてた。抗がん剤の影響で枕もとには髪の毛がパラパラ落ちてた。
10日、起き上がって足をベッドサイドから出してご飯食べ終えたところだった。そのまま机をはさんで2時間ほどお喋り。元気な時にご飯食べに行ったときみたいにいろんな話した。マンションの掃除のおばちゃんがお見舞いに来てくれたらしい。掃除のおばちゃんは結構蔑んで扱われるらしいが、母はいつも気さくに「お金ばら撒きに行ってくるわ〜」と話しかけていたので、そんないつも元気な母が入院してることに驚きと心配してくれてた。
12日、調子がいいのでこのままお願いしますと婦長さん?に母が言ったらしい。。。いやいや、原因がわからんから転院させて欲しいって言ってるのに「病名がはっきりしてないから紹介状書けない」と言われる意味がわからんのですけど?こんな原因不明のままうわべばかりの手探りの治療でほんとにいいの?根本的な原因の究明と治療が最優先だと思う。
14日、昨日は木俣さんがほぼ一日いてくれたらしい。今日も来てくれて母の断髪式をした。眉毛と顔そりもしてくれた。ほんとにあーちゃんも木俣さんも母に元気をくれてるなーって思った。
ぼちぼちよくなってきてるので、16日に骨髄検査をする予定。結果は3週間後なので10月中ごろになると思う。病名も「血球貪食症候群」だと父のメモに。
15日、調子はいい感じ。明日骨髄検査とCT検査があるらしい。周りの人がよくしてくれることに母はほんとに涙もろくなった。
16日、昼過ぎに行くと骨髄検査とCTはすでに終わってた。前回の骨髄検査の結果も4%くらいは白血球に異常な形のものがあったが、それでリンパ腫だった例は1例のみのため、一概にリンパ腫と決めかねる。これだけで決めるのはむずかしいらしい。血球貪食症候群は白血球・赤血球・血小板が減るのに、母の場合は赤血球と血小板のみなのも決めかねる原因だそうだ。赤血球・血小板が減る量より増える量が多ければいい傾向に向かうだろう。白血球は抗がん剤で一時期減り、白血球注射で一時的に増えたがそのうちいい数値になるだろうとの事。
17日、帽子は暑いのでバンダナ希望。間質性肺炎の疑い分もだいぶよくなってるとのこと。明日の採血の状態で輸血するかは決める。来週連休明けには薬を減らせていけたらと考えているらしい。
18日、今日は血小板輸血。父に憎まれ口たたけるくらい元気。
19日、晩御飯の最中にお見舞い。食べ方も普通になってきてるのがうれしかったりする。なぜかサラダにマヨネーズかけずに完食(笑)早く薬減らして歩きたいみたい。
20日、妹一家も連れてお見舞い。父と妹はちょっと顔が腫れてると思うとの事。元気そうだけど、薬が飲みにくそう。今週から薬を減らしてもらいたいから頑張ってる様子。
入れ違いであーちゃんがお見舞いきてくれた。
21日、朝38度、昼37.5度の熱が出たので心配。あーちゃんと木俣さんも来てくれてた。二人も顔が腫れてると言ってた。採血したらしいので、明日どんな感じか見れると思う。
22日、母も父も涙もろくなったなーと思う今日この頃。妹一家が帰っていった。今日は36.7度だったらしい。ご飯を食べるのも1時間以上かかる感じ、やれることはこれだけと頑張って全部食べるようにしてるみたい。足がすごいむくんでる。
23日、熱が37度出ててしんどそう。右目が充血してて目の中に何か入ってるのかもしれない。
爪を切ってあげた。自分で切れない状態だった。
あたしのちっちゃい頃にもこうやって爪を切ってくれたりしてたんだなぁと思った。
この手で私を引っ張って導いてくれた。
母を大事にしなくちゃと思った。
24日、以前のように容態が悪い状態に。父が先生・看護婦長と話してH医大を紹介してもらうことに。血球貪食症候群の権威の小児科の先生に相談して、ステロイド・抗がん剤・免疫製剤VP16(?)の3つを投与することに。白血球が少なくなるから抗がん剤やめたとか言ってたのに。
父は医学の本やHPなどでも血球貪食症候群の一般的な治療はステロイド・抗がん剤・免疫製剤の3つを使うことが書いてあるのに何故してないのかと怒ってた。
25日、輸血するためのサインがまともに書けないくらいに。
父はそれをみて一緒にいたあーちゃんと激怒、最終的には先生が捨て台詞の如く「はい書きますよ」と紹介状を書くことを了承したらしい。
息もはぁはぁなってるけど本人はしんどくはないと。喋ってる言葉も聞き取りづらい。夜ご飯食べれず梨だけ残してもらう。H医大に今日データを送って月曜日に返事が来るらしい。炎症がかなりあがってて、白血球はそんなに変化はないが、赤血球と特に血小板が少ない。
先生はあらためて「データを見たところ悪性リンパ腫ではない」と断言。
26日、昨日おにいに「来月いつくる?」ってメールしたら今日電話があって「今日行ったほうがいい?」って聞かれたので行ってもらう事に。母はやっぱり泣いたらしい。はじめはごにょごにょした喋り方だったけどだんだん普通に喋れるまでになったらしい(父談)
27日、昨日黄疸が出てたらしい。輸血をして古い血や老廃物が尿として出ずに体に残ってるためらしい。肝臓の機能が弱ってるのかも?とのこと。昼ごはんほぼ食べれず。薬は点滴に入ってるらしい。咳が昨日から出てる。首の周りの赤い斑点も気になる。早く医大に転院できたらいいのに。。。
28日、T医大は受け入れられない(部屋が空いてないか症状がむずかしいのか)H医大は考えさせて欲しいという返事だった。MK病院はすぐに受け入れてくれるという返事だったので、明日転院することに。
夜ご飯もほぼ食べず。
29日、朝から木俣さんがいたところ注射器を10個くらい母に打っていたらしい。「11時までに全部打たないといけないんですよ」とのこと。転院するのに?おそらく、母の中に投与されてた薬を全部体外に出すためだろうと木俣さんは言っていた。。。証拠隠滅?

MK病院に転院。HS病院から送られてきたデータだけをみると、寝たきりで酸素マスクをしてると思ってたらしい。母が起きててちゃんと喋れることに先生は驚いていた。HCUに入る。父とおにいが来てくれてた。早速骨髄検査や点滴の変更などの処置。血球貪食症候群であることは間違いなく、原因がウイルスである可能性は低く、悪性リンパ腫(しかも腫れないタイプの・・・リンパ節・リンパ装置)の可能性が大。骨髄の組織を切り取って検査をすれば確実だが、血小板が少なすぎるため危険。肺が出血しても危険との事。DICもかなり進んでる。抗がん剤VP−16を続けているため、白血球が激減。白血球注射(白血球を増やすために細胞分裂させる)をしても、分裂するものに抗がん剤が反応するため無駄。肺が白いのも気になる。肺炎の可能性も示唆。黄疸が出るのも抗がん剤を肝臓で解毒できずに抗がん剤が悪さをしてるらしい。
30日、昨日よりよくなってる感じ。箸も使えるしご飯も半分以上食べたし、喋りも昨日より多少力が戻った感じ。血糖値が高かったのはHS病院での点滴が栄養がありすぎたためらしい。
点滴で血糖値を上げ、その上がった血糖値を下げるためにインシュリンでおなかにいっぱい内出血作って・・・父は怒りを通り越して笑ってた。
明日はPET検査をして悪いところを探し出すらしい。

HS病院は肺の先生と産婦人科の看護婦さんだった。
骨髄検査の結果、悪性リンパ腫ではないと言われていた。
あーちゃんと木俣さんから聞いた話だと、病名がわからないまま転院させるのはプライドに傷がつくからか、難しい病気を治すと上にあがれるから母を離さなかったのでは?と言っていた。
そのプライドは人の命よりも大切なものなのだろうか?

転院先のMK病院には血液科があって、症例数も多い。
この病気は数値だけで見るのではなく、他の検査結果や状況、経験などからも判断するとのこと。
染色体まで調べて異常なものが混じっていてやはりリンパ腫だという結果が出た。


もっと早かったら。。。後悔するときりがない。
posted by もえ at 23:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 身内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月03日

闘病日記ー2009年8月ー

ステロイドは副作用の強い薬で、減らすタイミングも難しいらしい。
5日からステロイドを8錠に減らした。
9日には夏休みで帰郷してる妹夫婦やおにいも総出でお見舞い。
甥っ子の「ばぁちゃん、おんぶ♪」とKYな発言に苦笑い。
一時は外泊の許可も出て14日辺りがいいかもーって思うも、38度の熱が出て断念。
14日、妹と二人で様子を見に行くがボーっとした感じ。顔色もあまりよくない。受け答えもゆっくり。
前日に「おとうさんにむかつくといわれた」とメールがあったのでその話を聞くとしゃべりながら涙声に。
母が泣くのはめずらしい。記憶にあるのは妹の結婚式と、5年前に父が癌で手術をする時に運ばれていく父の姿を見た時だけだ。
歳をとって涙もろくなったと母は言っていた。
15日、「食事するのもやっと・・・しんどい」と。問いかけにうまく答えられない感じ。手の震えも少し。。。薬の後遺症?
16日、顔色はどんどん悪くなる、目まわりはくぼんで茶色くなり鼻は青くしんどそう。納豆さえもうまく混ぜれず、食べてても関節の力が急に抜けるみたいで何度も手がガクンとなる。それでも母は「失敗しちゃった」というように笑ってた。見てるのが辛かった。納豆とご飯やっと食べてその他残すくらい。日曜日なので先生もお休み。明日先生に状況をちゃんと話すように母に言った。
家に帰ると妹に「お母さん、どうやった?」と聞かれた。
うまく答えられなかった、隠した涙に気づかれた。
その日の夜、姪っ子が「ママ、お風呂で泣いてたんだよ」と言っていた。
17日、父が面会に。あまりのひどさに先生を呼んで話を聞くことに。
父がガツンと言わなければ母はもっと危険な状態になってただろう。
初めて、母が父と結婚しててよかったなぁと思った出来事だった。
筋力の衰え、血小板・白血球の低下で危ないところだったと。
間質性肺炎のほかに膠原病の可能性ありといわれる。
個室に移してもらい、点滴と鼻チューブ。
18日、16日の時よりも顔色はよくなり、手も震えがぼほなく動きもいいみたい。受け答えも徐々に回復。
元気だったからと数日病院に行かない間、こんなに容態が悪くなったことがだいぶショックだった。
この日から用事がない限りは毎日病院に足を運んだ。
「じゃあね、また明日」
ちゃんとまた明日会おうね、祈るような気持ちで毎日帰り際にこの言葉をかけた。
26日、朝熱が37.7度出る。リンパの血を取る為に緊急プチ手術。病名も間質性肺炎ではないかも知れないらしく、検査も一からやり直し。先生も他の大学病院で勉強しているらしい。
その大学病院を紹介して欲しいんですけど?と思った。
母が入院してからいろんな人に相談した。
友達は車に轢かれてHS病院に運ばれ、異常がないと言われたが、実際は腕を骨折してて完治するのが遅くなったと言っていた。
10人以上に相談して全員に「もっとおっきい病院(大学病院)に移したほうがいいで」と言われていた。
私には積極的な行動力に欠けていた。
28日、「血球貪食症候群」と診断。ウイルスなのか悪性リンパ腫なのか・・・いまのところ原因は不明なため普通なら処置が未定だが猶予もないのでステロイド+抗がん剤使用。その後、容態は安定。
血球貪食症候群・・・血液中の悪いものを食べる免疫細胞が暴走して赤血球・白血球・血小板を食べてしまう病気。数十万人に一人の難病。
ネットで調べると、最悪の状況になってから大学病院に運ばれるパターンが多いとの事。
そうなる前に早く転院させたかった。
血液の病気なら血液専門の先生に診て欲しかった。
今の先生は肺の先生だった。
31日、赤血球が異常に少ないため、輸血。血管が細くて逃げてしまい腕から針を入れれないため、右の首筋より管を心臓近くまで通して輸血。

そして母はベッドに繋がれた。
退院した時に体力がなかったら歩けなくなるからと、廊下を行ったり来たり頑張って歩いてたのに。。。
歩くと危ないということでトイレに行くことも禁止された。

採血も腕で出来なくなって手の甲から取られたりした。
血の止まらない母の手の甲は内出血で全体的に紫色になってしまった。

posted by もえ at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 身内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月02日

闘病日記ー2009年7月ー

この日記はあたしの偏見と思い込みと勘違い少々なフィクション・・・ということにしておきましょうw

2006年初冬、ある人に「ここ1.2年、お母さんのこと気をつけてあげてね」と言われていた。
どう気をつけたらいいかわからくて、健康診断に行くことを薦めるくらいしか出来なかった。
病院にまで連れて行くくらいの強引さが私にはなかった。
2年経って私は気を抜いてたのかも知れない。

孫の面倒を見に毎月千葉に行くのが楽しみだった母。
5月はインフルエンザが流行ってるからやめとくわと言った。
グリーン車に乗ったことがない母に、母の日のサプライズとしてグリーン車をこっそり用意しようと思ってたのに。
まぁ、6月でもいっかと思った。
母をグリーン車に乗せてあげることが出来なかった。

その頃から発熱と咳が出ると言ってた。
計ると38度や39度と表示される。
体温計壊れてるんちゃうん?と思った。
F医院の薬では治らなかった。
「もっとおっきい病院行きぃ」
「おっきい病院ってどうやって行ったらいいかわからへん」
確かに、うちは大病をしない一家なので病院のことは無頓着。
母はもうひとつの近くのOクリニックで診てもらった。
同じように薬をもらうが治らない。
「だからもっとおっきい病院に行った方がいいってば」
私が健康診断を受けた大阪市内のおっきい病院の診察券を渡して受付方法も教えてあげた。
でも、通うとなると大変だし・・・と行ってくれなかった。
・・・無理にでも連れて行ってあげればよかった。
母はOクリニックで2つの病院を紹介してもらった。
1つは自転車で行ける距離にあるK病院。
もう1つはバスで行けるHS病院。
母はバスで行けるHS病院を選んだ。
「HS病院ってwもっとおっきいとこ行きぃって!」
私の中ではHS病院は肋骨の骨折を見抜けなかった病院というイメージしかないので不安だった。
でもそんな一つの話だけで決め付けるのもなんだし、見守ることにした。
出された薬でもやはり治らず、検査入院という手もありますよと言われた。
肺にカメラを入れる検査、一泊二日、遅くても二泊三日の検査入院。
入院する前の日に、一緒にパジャマ等の入院用の買い物、夕飯の買い物をして、スタバでお茶した。
まさか、これが最後のお出かけとは思ってなかったのであんまり覚えてない。

15日、家を出ると母がバス停で手を振っていた。
私も手を振り返した。
バスが停まった。
母も私も知らなかった。
それが地獄経由の天国行きのバスだったなんて。
17日、「退院が1週間延びた」とメール。お昼頃に気が付いた。何があったんだろう?すごく不安になった。
一緒にお昼してた友達に事情を説明してるうちに涙がこぼれてた。
「行ってあげたほうがいいんちゃう?帰りぃ」と言ってくれた。
おとといまで元気だった母は病人のようにげっそりしてた。どうやらカメラで肺が傷つき出血があったらしい。
酸素飽和度も低く鼻からチューブで酸素供給。
母の友達のあーちゃんも来てくれてた。
先生が気になるところがあるから退院が延びてるとのこと。
24日、家族が呼び出されてる。
「間質性肺炎」と診断されてステロイド10錠投与。
数日後には発熱も治まり点滴も取れ、29日には鼻チューブも取れる。
入院前より健康そうに見える様にまで回復。院内を散歩するほどで病人には見えない。
料理にうるさい父の晩御飯を考えなくていいし、上げ膳据え膳で楽だと喜んでた。
25日、母が行きたがっていたコブクロのチケットをGETした。
9月と入院が伸びたときのことを考えて11月も取っておいた。
遅くても11月には退院してるだろうと思っていた。

私は「間質性肺炎」をネットで調べ、予後の悪さに絶望した。
最悪の状況を覚悟し、一日だけ思いっきり泣いた。

神様、私の何を奪っても構いません。
目が見えなくなってもいい。
喋れなくなってもいい。
聞こえなくなってもいい。
身体が動かなくなってもいい。
命だって構いません。。。母以外なら何でも。
posted by もえ at 23:35| Comment(4) | TrackBack(0) | 身内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月21日

ご報告。

生きてきた中で一番長く共にし、育て、支え、見守ってくれたこの世で一番大切な人。

母は、最期まで強く優しかったです。

ずっとしんどかったから、今はゆっくりしてると思います。


この3ヶ月ほどで知ったこと。

病院は選ばなきゃいけない。

父が母をどれだけ想ってたか。

周りの友達がどれだけ暖かく優しいか。


この世はプラマイゼロになるようになっていて

100大好きだったら100悲しみがある。

50しか好きじゃなかったら悲しみも50で済む。

とてもとても大好きだったからこんなにつらく悲しい思いをするんだ。


人の命なんていつどうなるかわからない。

だったら今日を後悔しない生き方をしていかなくちゃ。


ありがとう

ごめんね

大好き

ちゃんと言ってあげればよかった。


みなさんも後悔しないように相手に感謝の気持ちを、思いを伝えてあげてください。


posted by もえ at 18:54| Comment(18) | TrackBack(0) | 身内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月05日

○ブチさん

先日、コブクロが出演してた番組を見ていた母。
その番組を見てなかった私に話しかけてきた。

母「クロダさんは天下を取る人なんやってー・・・手相でそう言われてたわ」

もえ「へー、そうなんや」

母「それでオブチさんは・・・」

もえ「!?・・・オブチさんてw・・・コブチさんでしょ?コブチさんがオブチさんなら

“オブクロ”

ですやん」

・・・オブクロ・・・売れるかな?ww

そんな平和な会話がなされる今日この頃。
最近ハマッてるお菓子紹介します。
CAUC20GB.jpg
うますぎです。
口の中で溶けてしまいます・:*:・(*´∀`*)ウットリ・:*:・

そんなこと言ってる場合ではなく、そろそろお好み焼きと鹿ともみじの国に旅立つ準備をしなくては・・・
チケットの日付と場所・・・OK☆
posted by もえ at 01:45| Comment(7) | TrackBack(0) | 身内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月31日

この夏の出来事〜甥っ子のためならエンヤコラの巻〜


夏休みに妹が子供たちを連れて帰ってきてたわけで。。。
それはもうこの子たちが帰って行ってしまうまではもう何も手に付かないわけで。。。

USJ行ってきました!
子供ももちろん、私と妹も楽しむために♪
しかーし、ドリカムの曲でジェットコースター乗る気満々やったのに、曲が変わっているではないかΣ( ̄Д ̄;)がーんっ!
姪っ子はもう4歳なのでそれなりに子供向けのジェットコースターなどで楽しんでおりましたが。
ディズニーランドでもキャラクターを遠めで見るには大丈夫なものの、近づいて来ると泣き喚く甥っ子は果たして楽しめるのだろうか?
思ったとおり、ウッドペッカーやシュレックには見向きもせず、パレードでは水浸しになり( ̄Д ̄;;
キティちゃんと撮りたいという姪っ子の写真を撮りながら「甥っ子が唯一楽しいのはメープル味のポップコーンを食べてる時だけか?」なんて思いつつ戻って見ると甥っ子を抱っこしてた母がいない!?
もえ「あれ?おかんとRくんは?」
妹「え?そこ座ってたのにどこいったんやろ?」
しばらくすると母が呼んでる。
行ってみると
母「Rくんがあんたら追っかけて走り出してん」
えー?なんでやろ(・_・?)
母の向こう側を見るとキティちゃんが屈み込んでRくんとお話をしている(ように見える)ではないか!
しっかりカメラに押さえ、さぁ行こうと言っても聞いてもらえず、他のお客さんが写真を撮ってても果敢に攻めるRくん。
08.08.10a&r 15a.jpg
キティちゃん、好きなのね。

夕方から大粒の雨&落雷で帰りの電車がうちの最寄駅まで行かずに折り返し運転になってるではないか!
しかたなく別の電車に乗るも朝のラッシュ以上の混み具合。
もちろん座る事も出来ず、ちびっ子抱っこしないと潰されてしまうくらいの勢いだったので妹が姪っ子を私が甥っ子を抱っこして30分我慢。
ちびっ子たちも空気を察してか暴れることもなくおとなしく、最後までおとなしく・・・いや、最後の方で隣の母と同じくらいの年齢と思し召すおねぇさまに手を伸ばす甥っ子に「ていっ!」としたかも知れないw

そして、プールにも行ってきました!
さらさら水着になるつもりもなく「Rくん見ててくれたらいいから、膝くらいまで水に浸かれたらいい」と言われたけど、そこのプールは長ーいすべり台があるからテンションあがって滑りたくなっちゃうかも知れんからいちよう下に水着を着て、長袖にカーゴパンツと日焼け対策万全で挑みました。
はじめは妹も姪っ子も甥っ子も膝丈プールでわいわいしてたんですが、妹と姪っ子が流れるプールに移動して、私と甥っ子が膝丈プールで遊んでおりました。
カーゴパンツ捲くり上げてもがっつり濡れてしまいましたがね(-_-;)
まぁ、そこまでは想定内であがってしばらくすれば乾くやろうと目論んでおりまして。
でもね、甥っ子が手を引っ張って何気に流れるプールに向かって行って指差すわけですよ。

いやいや、あんた全然背が足りないし危ないで?

ジィィィッ (・_・ )ノ|

・・・だって、ちびっ子はみんなこっちで遊んでるで?

←・・・・・・(・ω・。) ジーッ

ほら、あっち行こう。

ジーッ (@ ̄_ ̄) ・・・・・

・・・えぇい!わかった!ばぁちゃんとこ行こう!

母の待つ場所に到着するとおっとこまえに衣服を脱ぎ捨て全身に日焼け止め塗ってもらいカーゴパンツを干してもらい、いざ日差し照りつけるプールへ( ̄Д ̄)ノ オウッ!
屋外プールなんて何年ぶりやろう?
しかし、あんだけ何度も日焼け止め塗りなおしてプールからあがったら日陰占領してたのに日焼けしてたねぇ・・・(_ _。)・・・シュン
もう今年はすでにブラッドハンド状態だし諦めはついたけれど。
姪っ子や甥っ子も楽しんでくれてたしいいや。

さてさて、うちでのバカンスが終わり旦那様の実家(博多)に向かう当日。
某鉄道会社の対応についてそれってどうなん?って思う事件がございまして。
会社名は伏せておきますが、新幹線の指定席を取っていたんですよね。
窓側 A(大人)B(大人)C(子供) 通路側
こんな感じで。
ところが、旦那が仕事で帰れなくなって切符1枚キャンセルすることになりまして。
窓側がいいからABで大人1枚子供1枚にしてもらおうとしたのに。
駅員さんがおっしゃるには「Aのキャンセルを登録したとたんにキャンセル待ちの人に取られた」とな。
まぁ、それはしゃーないやん、通路側の方がトイレ行きやすいしいーやんってことにして、切符受け取って電車に乗りました。
電車の中で妹が切符を確認して(ノ゜凵K)ノびっくり!!
渡された切符はA(大人)C(子供)になってるし!

旦那さんがケータイで某鉄道会社に問い合わせるも、どうやらたらい回しにされてる様子・・・。
結局確認して折り返し電話もらうことになって。
えー?でも駅員さんは確かにBCって言ってたから大丈夫やろう、切符を渡し間違えただけやろう、と思うことにしたw
そして、新幹線は目を輝かせて見つめている姪っ子と甥っ子を吸い込み、もうすぐ出発だよ、気をつけてね、頑張ってねと手を振っていると旦那様のケータイに着信アリ。
とりあえずBCに座っておけと身振りで合図して(* ̄▽ ̄)ノ~~ バイバイ♪
新幹線は行ってしまい、旦那様に「結局BCやったん?」って聞いたら
「ACやねんて」
と、衝撃の一言(ノ゜凵K)ノびっくり!!

( ̄△ ̄;)エッ・・?ってことは
窓側 A(妹on甥っ子)B(他人)C(姪っ子) 通路側
ってこと?
某鉄道会社はお盆帰省で一人で二人もの子供を連れて帰るという不安を抱えた親子を引き裂くって訳?
まぁ、Bの人がいい人であることを祈るしかないわなぁ・・・

不安はもう一つあって、
甥っ子が
08.08.10a&r 49a.jpg
プリキュアのカバンをコロコロしてること。
あ、これは姪っ子のやつだけどねw

キティちゃんにプリキュア・・・単なる姉の影響だといいけど(^^;;

結局、博多まではBに誰も座りに来なかったらしい。。。何だったんだ?

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2008年05月08日

とある朝の何気ない会話〜ちょっぴりずれてると思いつつ最後は思いっきりずれるおかんの巻〜


今朝、TVで桜井さんが出てたよーとおかんに言われた。
えっ!出演してコメントとかしてたんか!?と思ったらそうではなく去年のイベントの映像が流れたらしい。

もえ「あー、今日apの出演者発表やもんなー」

おかん「20.21.22日やったっけ?」

もえ「いや・・・19.20.21日ですけど」

おかん「去年2日間しかやらんかったやつやろ?」

もえ「2日間中止になってやったのは1日だけですけど・・・ほんで誰が出るとか言ってた?」

おかん「あの人、ほら・・・おだ・・・・・・おだのぶながが出るって!」


会話の中で数字が微妙にずれてるなーと思ってたら最後には時空を超えてしまいました。
出演したらある意味スペシャルですけどね。


あ・・・そうそう、出演するのは小田和正さんですよ♪

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2008年04月01日

突然、千葉に引っ越すことになりまして


皆様にご連絡を・・・と思いまして。
・・・え?エイプリルフール?
あ、今日はそういやぁ〜そんな日ですな。
3月初めくらいから「あー、今年はどんな嘘ついたろぅ・・・」と考えてたけど(笑)
でもこれは本当のお話。

ホント、びっくりしたよ〜引越し決まったのが3月4日。
引越しは3月30日>早っ!
住むとこ決めに行って引越し準備していろんな手続きして周りに挨拶して・・・
もうバッタバタですわ( ̄Д ̄;;
よくすべてが間に合ったなぁとちょっと感心してしまったわ。

まぁ、ディズニーランドが近くなったのは嬉しいね( ̄▽ ̄) ニヤ
年間パスポート買ったら貸してね♪
・・・え?いくら姉妹でもバレるって?w

でもねー、やっぱ寂しいよねー。
今まで生きてきてこんなに離れたことはないだもん。
知らない土地で暮らすのは不安だろうしね。
でもまぁ、君は一人ぢゃない!旦那様も怪獣たちもおるではないか!何とかなるさ、うん。
あっしもちびっ子2匹と会える機会が少なくなるのは寂しいさ(T-T)
これからは一体誰が私の被写体やってくれるんだい?
あ、そうそう。ちなみに引越し決まった時点ですでに私の関東遠征時の拠点に決定しておりますので"もえの部屋"を用意しておくようによろぴこ☆

それにしても、引越し当日はたくさんの友達が見送りにきてくれてて慕われてたんやなぁって思ったわ。
引越しという経験がなかったら一生わからんかった大切な事を知ることが出来たんちゃうかな?
新しい土地でも人とのつながりを大切にしていってくださいまし。
住めば都、住み慣れた頃にまた戻っておいでw

P・S あっしは引越しの手伝いで重い荷物を持ったりして・・・ではなく怪獣2匹のお相手役ですっかり腕が筋肉痛ですが何か?

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2008年02月24日

河川敷で・・・


寒いですね〜まだ自分の部屋で暖房を使わずに頑張っておりますもえです。
手がかじかんでPC打つのも大変やっちゅーねん。

さて、昨日の話なんですが母と仲良く洗濯物を干していると
♪ピンポンパンポン〜
「○○市からのお知らせです・・・」
って放送が!
えっ?いつもこんな放送してたっけ?何事何事?と興味津々に聞き入ってみるけど風がすごくて聞き取り難い。
2回くらい繰り返し聞いて何となくわかったのは
「明日、△△市(お隣の市)で・・・・・・・□□川の河川敷で・・・・・・風向きによっては灰が・・・・・洗濯物は家で干すなど充分ご注意ください。なお、強風や大雨の場合は・・・・・・・」
このくらいまで理解できたその時、母は言った。

「"セクハラ問題"って聞こえた」(・_・)真顔

えっ!(ノ゜凵K)ノうっそ〜ん!!
河川敷でセクハラ問題について集会でもするんですか?
・・・室内でしましょうよ>寒いよ?
それにきっとセクハラ問題では灰は飛ばんぞ。
多分今日は風も強いし雪もちらついてるから河川敷で集会は行われてないと思われます。

ちなみにとなりのトトロに出てくる

"まっくろくろすけ"

のことを

"くろくろくろべぇ"

と言います。>がんばれ母

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posted by もえ at 17:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 身内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月29日

女をキュンとさせる男の行動。


お外にお食事に行くとウェイトレスのおねぇさんをガン見しておねぇさんの腰を砕かせるうちの甥っ子Rくんのお話ですみません。

手のひらサイズの物から両手に抱えられるものまでのおっきさで、ぬいぐるみだったりかわいいものだったりすると
「好き好き〜、きゅ♪」と抱きしめるようにしつけられてるRくん。
ある日、ご機嫌斜めなRくんが何かの拍子に泣き出した。
慌ててなだめようと周りをみるけどおもちゃも食べ物もない。
う〜ん、苦肉の策で右手で影絵の犬を作って指を動かしながら
「ほら〜Rくん、わんわんやでぇ〜。ワンワン☆」
とやってみた。
まさに子供だまし。。。親指と中指と人差し指を引っ付けて人差し指と小指を立てただけのいわばただの手(-_-;)
だけど彼は大粒の涙をその目に潤ませたままじーっとそのお粗末なわんちゃんを見つめると、そっと両手を差し伸べ彼の胸元に誘いこんで一言。

「きゅ♪」>発音的には"きゅ"と"ちゅ"の間くらい

きゅーーーーーーーーーーーーーーーーんヽ(  ´  ∇  `  )ノ ♪となりました。
「きゅーーーーーーーーーーーん!」ってゆーて仰け反ってもーたくらいですわ。
計算?計算??計算???もしそうだったとしてもいいわ、騙されたままキュン死してもいいですか?
君が18歳になるまで待ってていいですか>その頃あんた何歳?

ε-(ーдー)ハァ、文章で伝えるのがもどかしくって・・・是非見て頂きたかったわ☆

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posted by もえ at 00:20| Comment(3) | TrackBack(0) | 身内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月10日

正月面白2/3連発


この面白出来事を文章にするのは大変難しいのでうまく伝わればいいなーと思いつつ。


〜姪っ子A(4歳の10日ほど手前)の場合〜

日の当たる暖かいリビングでお昼寝。
モソモソっと起きると太陽が直接顔に当たる。

「うぅ〜〜ん・・・」

せやなぁ〜、キラッと光が目に入ったら寝にくいわな。
Aが寝起きで左目をコシコシ擦って泣きそうな顔しながらこっちを見て一言。


「・・・まずしい(T.T)」

えーーーーーーーーーーーーーーーっ(ノ゜凵K)ノ!?
そ、それを言うなら「まぶしい」やろーゞ( ̄∇ ̄;)
確かにうちはお金持ちではないかも知れない。
いや、ほんとはまぶしくなくて貧しいことを言いたかったのかも知れない。
でも思っていてもそれは言っちゃーいかんばい。
文章でなかなかこの面白さを表現できないけど現場ではかなり爆笑させてもらいました。
かのぢょには今年も笑いの神が降りてます( ̄▽ ̄) ニヤ


〜甥っ子R(1歳半)の場合〜

電気さえつけてあげれば姪っ子Aはひとりでトイレが出来るようになりました。
大人たちは自分の支度でバタバタしてて、私も洗面所でお化粧に必死で誰も犯行現場は見てないのですが。。。
Aは今日も張り切ってオープン・ザ・ドアぢょうたいでシーしてまして、さぁ後は流すだけってところでテケテケとRくん登場☆したらしい。
しばらくすると
A「ママー!なんかでてるぅー!」
声が聞こえる。
A「ママぁー!!なんかでてるぅー。」
ママのところに駆け寄るA。
ママとA、トイレに直行。
ママ「わー(笑)ほんまやぁ〜何か出てんなぁ、ははは」
皆さん、"なんか"って何だと思いましたか?
洗面所の私はAがとても大きい"何か"をしてそれをママに見せて『そんなもん見せんなよw』って思って笑ってるのかと思った。
ママ「Rくん、あかんや〜ん(笑)」
えっ・・・?Rくん?トイレでどんな悪さを・・・
慌ててトイレに行って便器を見るけど

何にもない
便器には何もないけど

「えらいビショビショですやん(ノ゜凵K)ノびっくり!!」
そう、トイレの床がビショビショ。
何事かと思ったわ。
テケテケと登場したRくんは【おしり】ボタンをポチッとしたらしい。
そりゃー便器から"何か"が出てきて"何か"が勢いよくピューッと出るわな(-_-;)
Aはまだそれを使った事がないから名前もわからず「なんかでてる」なのね。
トイレに座るとちょうど目の前にあるまちゅいもビショビショ。
あぁ、まちゅいというのはメジャーリーガーの松井選手の事で要はカレンダーです。
A「ママ、これ誰?」
ママ「松井」
A「ふーん、まちゅい・・・」
って問答をこの二人はトイレに行く度にやってるような気がするんですけどー。

ってなわけで、トイレでしわしわになったまちゅいを見るたびにその事件を思い出す1月なのであります(2月からしわしわが減ってゆきますw)

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posted by もえ at 23:40| Comment(6) | TrackBack(0) | 身内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月08日

正月面白1/3連発〜姪っ子A(4歳の6日ほど手前)の巻〜


年始に妹夫婦が我が家にやってきてからの面白話が3つほどあったんでまとめて書こうとしたら、2つ目の話がやたら長くなったので分けて書く事にしました。

妹一家・母・私で遊園地に遊びに行った帰り、うちのマンションの1階で郵便物取りに行ったり車の確認したりとバラバラの用事を済ましてふと気づくと
妹「!?・・・Aがおらん!」
もしかして・・・
急いでエレベーターへ。
でも2つあるエレベーターの一つがちょうど上がって行ったところ。
うちのマンションのエレベーターは1階にのみエレベーター内の防犯カメラの映像が見れるようになってます。
それを食い入るように見る妹と私。
でも、たくさん人が乗っててわからん。
3階で結構たくさん降りて中に4人残った。
その中のエレベーターのボタンの前に立ってるちっちゃい物体・・・
二人「Aやっ( ̄□ ̄;)!!」
私「急いで追っかけな!!」
妹「いや!待って・・・」
慌てる私に対して冷静な妹。
そのままエレベーターは7階へ、そこで二人降りる。
そうやな・・・もしかしたらちゃんと10階ってわかって行ってるのかも知れんしな。
妹「何か"はじめてのおつかい"みたいやなぁ」
私「(笑)」
二人「♪どぉ〜れみっふぁーそーらしーどぉ〜w(合唱)」>けっこう呑気?
でも、カメラの映像は帽子被ったおっちゃんとちっちゃいAの二人っきり・・・あぁ、どうなんねんやろ・・・
無常にもエレベーターは最上階の11階に。
帽子を被ったおっちゃんが何やら話しかけてる様子。
え・・・?連れて行かれたりしーひんよな?
音声がないのでドキドキ。

ドキドキ。。。


帽子を被ったおっちゃんはエレベーターから降りながら@と閉のボタンを押してくれたのですヽ(*⌒∇⌒*)ノ
あぁいい人、ほんのすこしでも疑ってごめんなさい(T-T)
いやぁ、よかった・・・と思った瞬間、Aも降りようとしてるではないか!!
二人「おー!降りたらあかん、降りて来い」←いっこめの降りたらはエレベーターからでにこめの降りては1階にってことです。
そこはさすがは帽子を被ったおっちゃん、Aにエレベーターにいるように制してそしてバイバイと手を振ったのです。
つられてバイバイするA。
斜め上からの映像やから顔が見えんけどこんな状況で結構平気なのかもねあの子。
そんなこと言いながらエレベーターを待つ。
1階に着いてドアが開き、ようやくAとご対面。

\(T▽T)/

顔文字で表現するとこんな感じでしょうか?
とにかく大粒の涙で大泣きでした。
そりゃぁそうよね。

ぢつはこの後、大人たちもオオボケかましてしまいましたw
でも、この話は綺麗にオチがついたのでまぁ機会があったら・・・

これに懲りて一人でどっかに行かないようになってたらいいのですが。。。
あ、写真でいうとこんな感じかな↓

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posted by もえ at 00:18| Comment(7) | TrackBack(0) | 身内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月16日

ライオン現る!〜奇跡の再会の巻〜


7月に甥っ子が1歳の誕生日を迎え、プレゼントは何がえぇかねぇ〜と考えてたら秋が過ぎようとしてた11月の末頃のお話。
寒くなってきたので上着でもと思って妹も連れ立ってショップへ。
一目惚れしたこれをプレゼント♪
2007.12.05 013.jpg
黄色だからウロウロしててもわかりやすいし、デザインもかわいかったので。

でもね、12月始めに妹からTEL。
「ねぇちゃんごめん・・・あの上着無くしてしまった(ToT)」
公園に遊びに出かける時、あまり寒くなかったけど帰り寒くなったらあかんなーってことでこの黄色い上着をチャリンコのカゴに入れて行ったらしい。
んで・・・んで?とりあえずどっかから記憶がないらしいねんけど公園で遊んで家に帰って旦那が帰ってきて
「あれ?あの上着は?」
って話になった時に
「・・・?・・・ないΣ( ̄Д ̄;)がーんっ!」
って気がついたらしい>大丈夫?
風で飛んで行ったのか?
誰かに持っていかれたのか?
まぁ、なくなったもんはしゃーない。
理由はどうあれRくん寒いよな。。。

そう思って伯母さんは頑張って奮発しました( ̄‥ ̄)=3 フン
実は一目惚れして清算したあとにこれを見つけて
「おー☆こっちにすればよかった」
と思ってたやつなのです。
今のうちしかこんなん着てくれませんからねー。
まぁ、そうなる運命だったのと思いましょうと言うわけで、これ着てランチ(*´∇`*)
2007.12.05 007.jpg
 子ライオン(動きがまさに小動物(*≧m≦*)ププッ)
ねんれい:1歳5ヶ月
せいかく:ビビリ(笑)
すきなもの:ばぁちゃん♪
とくぎ:困った顔
くちぐせ:ぱぁ〜ん(もしくはとぅ〜ん)
2007.12.05 011.jpg
えさ:伯母と同じらしいw

んで、その日のお出掛けの帰り。
家までの道を左側通行で歩いてたら対面方向から小学生低学年の女の子二人が下校途中。
あー、もう学校終わって帰ってくる時間なんやーなんて思って見てたら
妹「あーーーーーーーーーーーーーー!」
え?えっ?何なに?
そしてその小学生の方に向かって歩いていく。。。
え?友達?でも小学生二人はそのまますれ違っていく。
でも妹は旧友にでも会ったかのような嬉しそうな顔のまま対面の建物に向かって歩いていく。
視線をそっちの方に持っていくと・・・

「ぅおーーーーーっ!」

そう、その建物の1階の窓の防犯のための柵になくなったはずのRくんの上着が(ノ゜凵K)ノびっくり!!
その上着をなくした日、確かにその道を通ったらしいです。
薄汚れてはいたものの、感動の再会にテンションUP☆
ってか、行きしも同じ道通ったのに気がつかんかったのに。
毎日その道往復してた旦那も然りw

なぜ妹は帰りに気がついたのか?

答えは姪っ子のAのおかげ。

というのも、ランチの時に私が姪っ子に約束しまして・・・その・・・ここでリアルに表現できませんが、とにかく
「Aが頑張って出たらオレンジジュースあげるからね」
と言って、Aは見事に出したので、ご褒美に・・・と思ってたジュースを妹が飲み干してた=( ̄□ ̄;)⇒
すっかり機嫌が悪くなったAに
「自販機でかっちゃるけぇ」
ということで、自販機を探しながら歩いてたんです。
何も考えずにぼーっと歩くのではなく、何かを探しながら違った目線で物事を見ながら歩いてると違った発見ができるものだということです。

というわけで、まとめますと。。。

Rくんの上着が見つかったのは

Aが便秘だったお・か・げ♪



posted by もえ at 22:15| Comment(5) | TrackBack(0) | 身内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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